メディア「事業革新」は、「育Work~育児しながら働く&働きたい人を応援するメディア」「法令×HRM 同一労働同一賃金研究所」に続く個人としては3つ目の立ち上げ・運営メディアになります。一見するとバラバラのテーマのように見えるこの3つのメディアの立ち上げ経緯や関係性を説明するために、私の社会人のキャリアについてお話しておきたいと思います。
合同会社事業革新・メディア「事業革新」編集長 小林麻理
氷河期に新卒で就職した大手IT企業を3年で辞める
法学部に入学したものの在学中に司法試験の受験を断念、新卒で入社したのはIT企業のNTTデータでした。
1999年という就職氷河期真っただ中で、たいした準備もせずに臨んだ就職活動は難航。数十社エントリーするも内定の可能性をまったく感じられずに何カ月かたったころ、ほぼ唯一大量採用を行っていたIT業界に照準を定めることにしました。
それは、男女雇用機会均等法が施行(1986年)されるよりも前から(育児中の女性としてはとても珍しく)企業勤務のITエンジニアとして働いていた母親の影響もありました。ITエンジニアになれば、母のように結婚して子どもができても働き続けられるだろうと考えたのです。若い頃には国鉄のコンピュータシステム導入に関わったと誇らしげに話す母の姿も印象的でした。
結果、数社から内定をもらい、大手で「世の中を便利にするような、新しい仕組みづくりに関われるのではないか」という期待から、NTTデータへの入社を決めました。
しかし入社して配属されたのは、30年以上稼働しているシステムを数百人規模で開発(改修)するプロジェクト。多数の協力会社をまとめる立場の仕事は、仕様調整や管理・最終テストがメインでこの道何十年のベテラン技術者にお願いする場面も多く発生します。
ときにバカにされる経験のなさを知識でうめようと第二種情報処理技術者、ソフトウエア開発技術者などのIT資格取得を続けながら(仕事する母のイメージと就職難でIT業界を選んだけども)この仕事は本当に自分がやりたいことだったのかと、もんもんとする日々を送っていました。
そんなある日、新聞を広げたときにぱっと目に飛び込んできたのが、私のキャリアを大きく変えた1948年創業の老舗出版社、商業界の求人広告でした(そのころは、懐かしくもまだ新聞広告が主な求人掲載媒体の1つでした)。
「世の中と生活に役立つ出版社」というキャッチコピーに「これだ!!」と思い応募、難航した就職活動からすると信じられないほどとんとん拍子に入社が決まりました。転職自体がいまよりネガティブに捉えられがちだった当時「せっかく大手に入ったのにたった3年で辞めてもったいない」など、周囲に様々なことを言われながらも1度目の辞表を出すことになります。
「夢のような仕事」の先に出した2度目の辞表
商業界で配属されたのは月刊『販売革新』編集部。流通の経営情報誌で、流通業の最新動向にとどまらず、チェーンストア理論を軸としたオペレーションやマネジメントなど実務的なテーマも扱っていました。某大手チェーンストアでは昇進試験時の参考テキストに使われていたこともあるほど硬派な雑誌です。
「こんな世界があったのか―」という驚きとともに、夢のような仕事だなと思いました。チェーンストア経営というテーマも、自分で企画を考え、先進的な人や企業に取材し、ときに自分で記事を書き、誌面で表現する雑誌の編集者という仕事も、月ごとの刊行サイクルも私の性分にあっていました。創業者が掲げた「商業界精神」にも心打たれていました。
しかし、そんな日々に暗雲となったが社内の労働争議でした。詳しくは書きませんが日々の仕事が滞るほど深刻な状況で、去っていった同僚や先輩も数多くいました。私もその1人となり、2006年に2度めとなる辞表提出にいたります。
3度目の辞表で会社員レールを外れ、フリーランスへ
そうして転職した書籍出版社・翔泳社で3度目の辞表を出したのが2013年の冬です。もっとも大きな理由は企画し続けるのに疲れ果ててしまった、ということです。書籍の企画は雑誌と違い、1本1本に投資が伴います。企画を社内で通すには、幾重にも会議にかけ承認を得る必要があります。
著者候補の期待を背負って考え抜いた企画が様々な批判や批評にさらされ結果通らないこともある、たとえ企画が通って一生懸命つくっても売れないこともある、という事を繰り返し続けるのは精神的にキツいものです(編集者として刊行に携わった雑誌・書籍は通算100冊以上になります)。こうした経験は「事業革新」における「新規事業に挑戦する人を応援する」というコンセプトにつながりました。
そして先を決めずに辞めたところ、すぐ元商業界の先輩や同僚から仕事の声がかかり、失業給付をもらう間もなくフリーランス生活に突入することになります。ビジネス媒体では慢性的な(ビジネス記事の取材・執筆ができる)ライター不足で、商業界の各媒体、FRANJA、ダイヤモンドチェーンストア、月刊マーチャンダイジング、商人舎、週刊東洋経済、Forbes Japan、M&A Online、MD NEXT、JBPress……など様々なビジネス媒体での執筆機会を得ました。
会社員時代は企画や進行管理、(ライター同行での)取材・編集が仕事の中心ということもあり、実はライティング自体は不得意で(それを完成レベルに仕上げるために推敲と編集を重ねるため)遅筆だった私も、このフリーランス生活でかなり執筆力が鍛えられたように思います。取材数も通算100本を超え、自信もつきました。
社会保険労務士資格の取得と「育Work」の立ち上げ
しかし、フリーランスの仕事は、自分で量も期日も受注金額もコントロールができないことがほとんどです。こんな状況では長くは続かない、もっと専門性をもって仕事に取り組まねばと考え、社会保険労務士の資格を取得しようと考えました。
「専門性」という意味で社会保険労務士を選んだのは理由があります。まず、「3度の辞表の末のフリーランス」は、会社員として一生を過ごそうとしていた私にとって想定していなかったもので「私のようなダメ人間は、会社生活には適合しないのだろうか」という挫折感があったことです。
それでも、フリーランスとして様々な人や企業に仕事が評価されるにつれ「いやいや、私がダメ人間なのではなく、会社の状況にも問題があったのではないか」と考えるようになりました。特に商業界での労働争議は、その最たるものでした。
「問題のある会社の状況を改善し、(私を含め)様々な人が働きやすい環境にしたい」という思いが強くなるなか、それを実現するための足がかかりとして、人事・労務の専門資格である社会保険労務士の資格が役に立つと思ったのです。会社の状況を悪化させる原因のほとんどは「人」であり、「給与」とそれに深く関わる「評価」や「マネジメント」の問題だからです。
そして2018年の夏に社会保険労務士資格を取得、社労士事務所ワークスタイルマネジメントを設立しました。まず念頭にあったのは「人々が自分らしく働きやすくなる」ための知識を提供するメディアの開設です。
そして、2019年の春。はじめてのメディアとなる「育Work」を立ち上げました。「育Work」は、「育児」と「働く(Work)」という意味を込めた造語で、コンセプトは「男女問わず、働き方を問わず育児しながら働く・働きたい人を応援する」です。

「育Work」では私の社会保険労務士としての知識提供のほか、リクルートマネジメントソリューションズや中外製薬など様々な企業の方にこれまで登場いただくことができました。
なにより嬉しかったのは、「(「キラキラした活躍談」ではない、育児しながら働くことのリアルを語る)こうした記事こそを求めていた」と、読んだ方から多くの共感の声をいただいたことです。
「給与」と「評価」を真正面から扱うメディアを立ち上げ
そして2つ目に立ち上げたのが「法令×HRM 同一労働同一賃金研究所」です。前述のように会社で発生する問題のほとんどは「人」であり、「給与」とそれに深く関わる「評価」や「マネジメント」の問題です。それらは日常の仕事の質も人間関係をも左右します。
2020年に(中小企業は2021年から)適用開始となった「同一労働同一賃金」に関する法律はそれらの問題に深く関わるものです。

「同一労働同一賃金」というとその言葉のニュアンスから「同一労働時間」に対し「同一賃金」を払う考え方だと誤解される方もいるのですが、本来の意味は「同一価値労働」に対し「同一賃金」を払うという考え方です。
また(「価値」=「成果(売上)」と捉え)この考え方は成果(売上)主義ではないか?という誤解もありますがそうではなく、会社への「貢献」も「価値」に含まれます。
そして「同一」とは「(賃金が高いほうの)処遇引き下げ」で実現するのだと誤解されている方もいますが「(賃金が低いほうの)処遇引き上げ」によって実現されなければなりません。これはガイドラインにも明記されています。
こうした基本的な誤解をまずは解くために、立ち上げと同時に『同一労働同一賃金のすべて(有斐閣)』という著書を記され、本テーマで数多くの講演を行っている東京大学水町勇一郎教授にその本質についてお話いただきました(そして、同メディアの記事にて詳細を書いていますが「育児しながら働き続ける」うえでも、「同一労働同一賃金」の本質はたいへん重要なものです)。
また、「同一労働同一賃金」とは直近の法令対応だけでなく、人材マネジメント(HRM)の観点からも大切なことなのだ、ということを説明するために月刊『販売革新』の2004年の特集「同一労働同一賃金時代の幕開け」についても解説しました。
メディア立ち上げと前後し、ゆくゆくは人事評価の実務にも携わるぞ、という意気込みを込めて、社会保険労務士や弁護士の勉強会へ積極的に参加、人事評価システムの販売代理店にも加入しました。
コロナ禍・商業界の倒産をめぐる様々な思い
一方で(改めていうまでもなく)今も続くコロナ禍が私たちの生活や仕事環境を大きく影響を与えるようになりました。その初期とも言える2020年4月、衝撃的なニュースがはいりました。商業界の倒産です。
以前から経営が危ぶまれていた商業界に、トドメを指したのがコロナ禍による(私がいたころは1000人単位の参加者があった)宿泊セミナーの参加者減だったそうです。
その後、コロナ禍が深刻化・長期化し、耳を疑うようなニュースを日々聞くにつれ、残念な思いがつのります。いまこそ商業界のように、「道徳」に立ち返り、混沌とした社会の中で、経営者や実務者にとって道しるべとなるような存在が必要なのに……。
同時に、それまでは「働き方改革」や「同一労働同一賃金対応」がメインだった社会保険労務士や弁護士主催の勉強会のテーマは「雇用調整助成金」や「円滑な整理解雇」などが目立つようになりました。
そのなかで痛感したのは、日本には新しい「稼ぐ力」、すなわち新規事業が必要だということです。(育児しながら働くことを含めた)理想的な「働き方」も、「給与」も、「稼ぐ力」なしでは実現できないのです。賃金原資となる売上がなく会社が倒産すれば、「同一労働同一賃金」が目指す「処遇の引き上げ」も、絵に描いた餅になってしまいます。
「事業革新」の誕生、3つのメディアの関係性とは
そうした問題意識の中で、入居していたコワーキングスペースの運営人である当社大高と今年(2021年)3月に立ち上げたのが、「事業革新」プロジェクトです。
じつは、立ち上げ当初はいくつか名前の候補案があり、「事業革新」はそのなかの1つでした。名称決めの打合せで、大高の「すごくいい名前だ」という意外な言葉に後押しされ、即決となりました。
「販売革新」は私のメディアキャリアの原点です。その名前を想起させる「事業革新」という名称に決めたときは胸にアツいものがこみ上げました。様々な仕事の変遷をへて「革新」へと原点回帰したということです。そして、合同会社事業革新は、その歴史の幕を閉じた商業界の精神を受け継ぎ「事業革新の精神」を掲げることにしました(詳しくは別記事をご覧ください)。
さて、非常に長い前置きとなりましたが3つのメディアの関係性は次のようになります。

育児しながら働き続ける(「育Work」のテーマ)には、労働市場に出入り自由な環境を実現するための賃金と評価制度が必要です(「法令×HRM 同一労働同一賃金研究所」のテーマ)。
しかし、それには稼ぐ力のある新規事業が必要で(「事業革新」のテーマ)、それによって実現した多様な働き方(「育Work」のテーマ)と処遇改善(「法令×HRM 同一労働同一賃金研究所」のテーマ)は人材力向上となって、新たな新規事業実現(「事業革新」のテーマ)に結びつく、ということです。
なお、テーマだけでなく「育Work」は、「事業革新」とともに、合同会社事業革新が提供する「オウンドメディア構築サービス」とも紐づいています。当サービスは私のメディア立ち上げノウハウおよび大高のWebマーケティングと運用ノウハウをあわせて提供するものです。
これは、広告主だけに頼らないメディア運営を実現するために考えました。自社サービスや採用ブランディングのために短期間で質の高いメディアを立ち上げ、Webマーケティングも含めた運用を任せたいという企業さんに、ぜひご利用いただきたいと考えています。
以上、複数のメディアの立ち上げ経緯や関係性を説明してきました。私のキャリアをふりかえっても、(特に仕事では)せっかちで思いついたらすぐに行動してしまう性分ゆえに失敗することも多々ありました。それでも、私の人生の信条は「転んでもタダでは起きない」です。失敗も成功も人生の糧としてまるごとのみこんで、前に進んでいきたいと思います。
2021年8月 小林麻理